みんなの声
里親の取り組み
3月18日、茨城県 旭南小学校さまの全校集会で、
転校する4年生、1年生の姉妹から全校生徒へ向けて
メッセージとすてきな提案が伝えられました。
以下、旭南小学校さまのブログを掲載させていただきます。
http://www.asahiminami.com/
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「ひまわり物語のはじまり!」
今朝は臨時の児童集会がありました。この3月で転校していく4年生のO.Sさんと1年生のO.Mさんの姉妹から「ひまわりがつなぐ希望のメッセージ」が伝えられる会です。
二人は、4年前まで福島県富岡町に住んでいました。それが、あの「3.11」の東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故によって大量の放射性物質がまき散らされたことで、着の身着のままの避難をせざるをえなくなったのです。
O.Sさんのメッセージでは、こう語られました。
「4年前の地震の時、私たち家族ははじめは近くの中学校に避難しました。次の日の朝には原発が危険かもしれないという情報があって、富岡町の西にある隣の村に避難するように言われました。私たちが住んでいた家は原発からまっすぐ測ると7kmくらいしかありませんでした。避難するときには、そのあとずっと家に帰れなくなるとは思っていませんでした。」
「隣の村に行きましたが、避難所がいっぱいで入れず、さらに西へと向かい田村市大越町というところの体育館にやっと避難することができました。ここは原発から30kmくらい離れている場所でした。」
「大越の体育館では3日間過ごしました。その間も原発がどうなっているのか確かな情報がないまま、遠くに頼れる親戚や知り合いがいるならそこへ避難した方がいいと言われて、お母さんの実家がある鉾田市に避難してきました。」
「震災後、私たちが住んでいた家は放射能の影響でしばらくは入ることができませんでした。今でも私と妹は震災の前に住んでいた家には一度も入ることができないままです。お父さんとお母さんが地震のあとの家を写真に撮ってきてくれました。大人でも家に戻っていられる時間が決められていたので、庭は草だらけ、家の中は地震があったときのままでした。」
当時、幼稚園の卒園式もできずに福島から避難したO.Sさん、妹のO.Mさんとお母さんの鉾田での生活が始まったのが4年前だったのです。
今回、親子は福島県内に住まいを移すことになりました。これで単身で福島で働いているお父さんともいっしょに住めます。でも、富岡町の元の家に戻れるわけではありません。
Oさん姉妹から、旭南小学校のみなさんに提案がありました。「福島ひまわり里親プロジェクト」という”福島と全国がつながる活動”に、旭南小として「ひまわりの里親」として参加しては、という呼びかけです。そして、Oさん姉妹から、本校の児童代表に「ひまわりの種」が託されました。
児童の代表(次期の児童会長、副会長)からは、「種を育てて、福島に送ります」という誓いのメッセージが伝えられました。種を通してつながりつづけることをみんなで拍手でかくにんしました。
校長先生からは、「Oさん姉妹とは転校で別れてしまうけれども、これはひまわりの種を通した新しい物語のはじまりです」という話がありました。
ひまわりの種が、これから「新しい物語」を作り出し始めます。その主役は、子供たちです。子供たちが「ひまわりの種」を通して心もつながり合えること、旭南小学校の子供たちが復興にがんばっている福島につながること。「新しいひまわり物語」が、いま始まりました。(^o^)
上記のお話を茨城新聞に掲載していただきました。
茨城新聞より(2015.3.20)
記事:http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14267656644705
映像:https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=9rP4EMAQzxk
福島帰郷の姉妹から種
東京電力福島第1原発事故の影響を受ける福島県を応援しようと、鉾田市立旭南小(江橋惣一校長、児童141人)が「福島ひまわり里親プロジェクト」に参加することになった。4年前、同県富岡町から避難してきた児童姉妹が帰郷することになったことから、姉妹が転校前の18日、全校児童に「花を咲かせて」と呼び掛け、ヒマワリの種を託した。
姉妹は4年生、大和田紗希さん(10)と1年生、みず穂さん(7)。東日本大震災後、同原発から約30キロ離れた田村市の体育館などに避難した後、母親の愛真さん(33)の実家がある鉾田市に移り住んだ。父親の勲さん(37)らは1カ月後に福島に戻り、以来4年間、離れ離れの生活が続いていた。放射能の影響が残る富岡町の自宅には帰れないが今月、いわき市の勲さんの元に戻ることになった。
同プロジェクトは復興のシンボルにヒマワリの花を咲かせようと2011年5月にスタート。全国の里親がヒマワリを育て、採れた種を福島で咲かせて、各地との絆を強めるとともに知的障害者の雇用や観光につなげる。若手経営者らでつくるNPO「チームふくしま」が取り組み、これまでに10万人以上の里親から5トン以上の種が送られたという。
勲さんが同NPO理事を務めている縁で、同校は児童会活動として取り組むことにした。18日には同校で特別行事「ひまわりがつなぐ希望のメッセージ」が開かれ、紗希さんが避難の経緯や福島の現状、プロジェクトの内容などを説明。全校児童に別れを告げるとともに参加を呼び掛けた。
紗希さん姉妹が「南小で咲いたヒマワリから採れた種を、来年夏に福島で咲かせられたら」と6袋分の種を手渡すと、児童会の細谷唯人会長らは「僕たちの種が育つことを待っていて」と花を咲かせることを誓った。
江橋校長は「2人とはお別れになるが、ヒマワリでつながっていける。これは新しい物語の始まりだ」と呼び掛け、取り組みが広がっていくことを願った。夏に校内や児童の自宅で育ててもらい、採れた種は秋に紗希さんらに贈りたいという。 (島田真太郎)
茨城新聞様ありがとうございます。