種の寄贈
種の寄贈
11月6日(日)、震災後初めて南相馬市に行ってきました。
目的は南相馬で今年ひまわりを育て
地元の復興のために精力的に活動されている
八津尾 初夫さんに福島ひまわり里親プロジェクト
の
里親さまから送って頂いたひまわりの種をお届けすることでした。
本プロジェクトの活動を取材頂いている地元のテレビ局の方も一緒に向かいました。
途中、飯館村を通過したのですが徐々に測定値があがっていき
車の中でしたが最高2.97μSv/hの線量が計測されました。
何をしているのかわかりませんでしたが飯館村公民館に沢山の方が集まっていて
その中にタイベックススーツを着た方がいましたので除線作業をする
ところだったのかもしれません。
初めてお逢いしてお話しをさせていただきました
八津尾さんはこの震災で奥様を亡くされています。
奥様はひまわりが描かれたものを好んで
身につけるほどひまわりが大好きだったそうです。
ひまわりによって土地をそして、人の心を明るくすることは
奥様からの宿題だとおっしゃっておりました。
また、今回種と一緒に里親さまから届いております
メッセージも観ていただきました。
心のこもったメッセージ一つ一つに目を通され
涙を流されていました。
全国で育てていただいたひまわりの種を
地元の再生のために活躍されている方々の手に
里親の想いと一緒にお届けしていきます。
里親さまの想いが福島の復興をの支えになっていきます。
ありがとうございます。
八津尾さんの自宅があった場所につれていって頂きました。
その場所に向かう途中、突然、テレビや写真でしか観たことのない
光景が目に入り込んできました
直接目で観ることで
そこにあった生活感や想像以上の状況であることを知ることとなりました。
行方不明の友人・知人のための目印にと
立てられた鯉のぼり
到底、想像では感じることのできないものでした。
自宅の場所は、海から900mの位置で
津波が確認できてその場所までは1分程度の時間しかなかったそうです。
お孫さんを車に乗せ、押し寄せる波から必死で逃げたそうです。
奥様の乗った車は自分の車のバックミラーで確認し
離れそうになると車を停止させ、奥様の車を待ったそうです。
その際に一緒に乗っているお孫さんは
押し寄せる波を観て
「じいいちゃん、とまんないで〜」と泣きながら
訴えていたそうです。
その状況は何度か繰り返され
車を走らせる中でバックミラーで確認できていた奥様の車が観えなくなってしまったそうです。
想像しかできませんが、
言葉が見つかりませんでした。
津波に流された自宅の基礎部分を観ても
言葉がみつかりません
自宅を建てたときの想いでや、この家で生活していた
歴史のお話も伺いましたが本当に言葉が見つかりませんでした。
ただ、感じたことは、
そのお話をされる八津尾さんの強さと優しさ、
そして自分自身が出来ることがもっとたくさんある事に気づかせて頂きました。
出来ない理由はただのいいわけです。
一人一人が今できること、今しかできないことに真剣に向き合い
行動することで生まれる世界があります。
明るく楽しい世の中になりますようにではなく
自分自身が何をすることで明るく楽しい世の中になるか
考えていく権利があるのだと感じます。
やれることをやりきります。
現在、福島ひまわり里親プロジェクト
事務局には
続々とひまわりの種が全国から届いてります。
種は、県ごとの分けられた棚に並べられていますが
この場所では足りないほどのひまわりの種が恐らく届くと想います。
そして、あたたかい里親さまからの
メッセージも届いています。
出来るだけ多くの福島県の方々に観ていただけるように進めていきます。
ひまわりの種の採り方についてはこちら
https://www.sunflower-fukushima.com/faq.html
日本全国の里親の皆様、福島ひまわり里親プロジェクトを応援していただいている皆様へ
https://www.sunflower-fukushima.com/project/blog/20110915.html
福島ひまわり里親フォトコンテスト参加お申し込み承り中!
ーーお申し込み受付は終了いたしました(閲覧のみ可能です)ーー